大分合同新聞社に受けた取材が記事になりました!
昨年某日、大分合同新聞社様より、当事者として発達障害についての取材をお受けしました。その記事がついに今日の夕刊にて掲載されました!
取材をしてくださった記者さんは、一紫が賑やかなところで落ち着いて話ができないことを配慮して個室を用意してくださったり、
他にも発達障害の取材をしてくださったり、当事者会に顔をだしてくださったりと、とても当事者に寄り添ってくださいます。
4/2のチラシ配りが大分合同新聞に掲載されました!30分だけの配布だったのですが、手に取ってくださった方、ありがとうございました! pic.twitter.com/ZkGGwW7xKS
— 詫磨一紫@大分合同新聞に記事載ります (@isshitakuma) 2017年4月4日
↑これとか。
わかりやすく質問をしてくださったり、話しやすい方で緊張もすぐにほぐれました。
一紫がこの取材を受けたのは、少しでも多くの方に発達障害を知ってもらいたいこと、支援者の声ではなく、当事者の声を聞いて欲しいからということがありました。
支援者さんの発言って、たまに当事者からしてみると疑問なことがあるし、受身ばかりではダメだなと感じたのです。
発言をすることで賛否両論、批判を受けることもあるかもしれませんが、今はその恐怖よりも、当事者の置かれている不本意な立場を改善するお手伝いをしたいと思っています。
大分県のNPO法人共に生きる、で当事者としてお手伝いしているのもそんな気持ちからです。
過去、一紫のメルトダウンを直接見たわけでもないのに恐れて去っていった人もいました。
メルトダウンを起こさずに済む努力は見てはもらえませんでした。
メルトダウンを起こすことがあるなんて、言わなきゃバレないものですが、それでも一紫はちゃんと言います。それが現実だからです。
その現実を踏まえた上で、努力して工夫して、メルトダウンを起こさないようにしています。これはどんな病気でも同じでしょう。発作を起こさないように気をつける。それだけです。
そうして去っていった人が発達障害に嫌悪感を抱くのは、発達障害を知らないから仕方がないと一紫は思いました。そう、知らないんです。想像だけで発達障害者は見られている状態なんです。
身体的な、見てわかる障害者と違って気持ち悪がられているところもあると思います。
しかし、日常の困りごとと戦ったり、工夫したりしているところでは身体的な障害者となんら変わらないと思っています。
発達障害は他の病気や障害と同じように、存在しています。
決して特別な存在ではありません。
その特別でない発達障害を抱えているからと自分を卑下する必要もないし、見下される必要も、当別扱いしたりされたりする必要もないと思います。
ただ、過ごしやすいように工夫すればいい。工夫が許される世の中になればいい。
いたって単純な問題だと感じているのです。
みんなが違って、当然の世の中なのですから。
ちなみに明日も掲載されますので宜しくお願いします!