発達障害者支援ができるのか考えた。
多肉植物を愛する詫磨一紫です。
会社に温室までこさえて、日々愛情を注いでおります。多肉植物は良いですよ…忘れっぽいADHD、水やりがそこまで必要のない多肉植物は相性バツグンです。ええ、きっかけはそんな理由です(笑)。
ところで最近、某NPOのお手伝いをしていて考えることがあります。
自分は発達特性のために困ることはあっても、深く思い悩んだり、苦しむことがほとんどなくなりました。
今現在、発達特性のために思い悩んだり、苦しんでいる人たちとは距離があるのかもしれません。
いつからか発達特性を自分の一部として、うまく馴染んだように思います。
そして思うんです。こんな、困ってはいてもなんの苦しみも抱えていない一紫が、発達障害の啓発活動なんてしても良いのだろうかと。
自分は発達障害を軽く感じてしまってはいないだろうか。
不勉強でもあると思うし、なんの努力もしていない。
そんな自分に何ができるだろうか。
うーんうーんと考えて、でも冠地さんに言われたことが心に残るんですよね。
自分が話せることがある。自分だから話せることもある。
それ以外のことは他の人に頼めば良いじゃないかと。
自分の人生は、発達特性のために得たものよりも、失ったり諦めたものの方が多い。
発達障害者には、周囲のサポートや理解が何よりも必要です。
自分の人生なんて、他の発達障害者の手本にはならない。でも、発達障害者の周囲の人の理解には役立てるかもしれない。
自分の人生で起きた失敗や諦め、成功を話すことで何か変わるならやってみたい。
ちょっとそこらへんの意識が漠然をしていましたが、今日明確になった気がします。
次の世代の発達障害者には、諦めたり妥協を繰り返す人生を送って欲しくない。
いっちょ頑張ってみようかと思います。