発達障害者=天才?それは本人の努力だけ?
発達障害の関連記事でよく「発達障害者には天才が多い」というもの。エジソンやダ・ヴィンチ、アガサ・クリスティーに織田信長。パブロ・ピカソにモーツァルト。歴史上の偉人で発達障害者であろうと言われている人は多い。
現代はカミングアウトする著名人も多く、トム・クルーズにパリス・ヒルトン。ウィル・スミスにジュム・キャリー。それにオーランド・ブルーム。当事者からすれば「だろうね」といった印象ですが。(とくにジム・キャリーとパリス・ヒルトン)
でも、発達障害者=天才、というのはあまりに短絡的です。発達障害者に優れた有名人が多い、という広告が先走ったおかげか、自称ADHDの方もいます。(ここでの自称ADHDはいわゆるグレーゾーンとはちょっと違う、さして困ったことはないけどなんとなく、みたいな方のことです)
発達障害者の中には確かに「異常に」一つのことにのめり込んだり、偏ってはいますが知識は学者レベルみたいな方がいます。真似のできないその行動力、自分だって憧れることもあります。
しかし、実際にはほとんどの発達障害当事者がその「異常さ」に振り回され、疲弊し、摩擦が起き、生きづらくなっています。
発達障害者の「個性」は、同時に「困難」でもあるのです。
それでもすごい才能を開花させ、世の中に芽を出す発達障害者がいたとしたら、それは周囲のサポートがあったが故ではないでしょうか。
たとえばエジソンですが、彼は問題行動や学習障害から学校に通えなくなってしまいました。それでも科学が好きなエジソンのために、部屋の一室を科学室に改造したのは彼の母です。
ADHDにLDも併発しているトム・クルーズは母にいつも励まされ、強く愛されていました。多動や衝動のある子どもだったそうで、遊びに夢中になって行方不明になり、警察沙汰にまでなったそうです。(本人曰く冒険していたとのこと)
発達障害者に天才が多い、というのは多分本当のことです。
しかし、天才と評価されるような当事者は、周囲からの途方もない愛情と忍耐、本人の努力と才能の結果だと思うのです。
成功した当事者の周囲もきっとたくさんのものを犠牲にしたと思います。発達障害者はもしかしたらなんらかの素晴らしい芽が出るかもしれませんが、みんながみんな、そんな努力はできないと思います。
立派すぎるお手本を見せられるよりも、もっと庶民的な発達障害の広告を出して欲しいなーと思った次第です。